journals



No.37

 踏み出す勇気を! 

2006/08/30 (水) 07:48


今年31歳になった。改めて数字に書くと違和感を感じるが、これは現実だ。
トークが上手でうまく人の心を読んでそれを活かすことが得意(厚かましくもそう思っていた)だった小・中学生。そんな積極的だが計算高い自分自身に嫌気が差し、その後、光の影の部分を知り惹かれていった。気がつけば内気で人見知りなぼくが出来上がった。
自分自身に正直に向き合った時、生きる意味をなくした。それでも死ぬ勇気はなかったから何とか立ち上がった。
ぼくは不器用である。ほんとは違うと思っても、やはり不器用だ。その理由がたった今分かった気がする。

中途半端な夢を持ち続けているせいだ。

このまま社会人を続けることが世間体には正しいようだし理解はしているが、ぼくは悩んでいる。きっとみんなこうやって悩みながら、それを乗り越えていってるんだろうな。そうやって描いた夢の形を変えながら幸せを探しているのかもしれない。
「甘い」と言われる。何が「甘い」のかよく分からない。って言うあたりが「甘い」のだろう。分かってる。でも分からないのだ。
じゃあ何をしたいんだ?
夢の形を変えられないのだ。
生きたいのだ。
生きたい。
聞こえないのは耳を塞いでいるから。
でも聞きたくない。
正論なんか聞きたくない。
夢追い人の溜まり場へ行きたいがそれにはあまりも小心者すぎて、行けない理由をかき集めている。

手詰まりだ。




No.36

 涙 

2006/04/16 (日) 07:33


嬉し涙。悔し涙。悲し涙。可笑し涙。
どんなに想っても、言葉にしなきゃ伝わらないことはある。
どんなに言葉にしたくても、言葉にできない想いがある。
そうやって生まれてしまうすれ違い。
でもそれってお互いがお互いを想い合うからこそ生まれる感情。
そこで守るべきは信頼。

もらい泣き。
涙から伝わるのは共感。疑似体験。同情。心配。
涙をこらえる人から伝わるのは魅力。憧れ。奮起。
そこで攻めるべきは向上心。

泣きたいときに泣く。
ありのままで。
泣きたくてもこらえる。
ありのままで。




No.35

 現実 

2006/02/09 (木) 16:19


前を向いて歩いている。いや、歩くというよりはむしろ、目の前にある壁を少しずつ削り落としている感じ。暗い暗い。なかなか前へ進めない。でも止める気はなくて、削り落とし続ける。体についてしまった汚れは気になって。汚れる度に振り払い、また削り落としていく。
ただ、ふと振り返ればそこは青空で。風もない。大きな雲がゆーっくりと、東から西へ。広がる世界。息を深く吸い込んで。大地に立つ。実感する。両手を空に向けて伸びをする。それは想像以上の心地よさで。
土手に登って走り回る。笑顔。開放。
このまま空を飛べるかも、なんて空想。

でも振り返る事はしない。前を見る。何のためかなんて分からないし、別にどうでもいい。自分の居場所を探すため、そこにいていい場所を見つけるため。
電動シャベルが壊れてしまったから、手シャベルを振りかざし、力一杯に壁にぶつけ続ける。
「ガシッ、ガシッ、ガシッ」
全体の壁から見たら、この一撃はなんて微力なのだろうと弱気になる。いや、もしかするとこれが決定打で壁が崩れ落ちれ、目の前に新世界が広がるのかもしれないと希望を抱く。浮いては沈む明日を想像しても仕方ない。分かってる。だから今は少しずつでも、この壁を削りおとしていくんだ。




No.34

 ジョン・レノン命日 

2005/12/08 (木) 23:51


1980年12月8日夜10:50。ダコタハウス前にて、ジョンレノン倒れる。
彼の死を偲んでジョンレノンやビートルズの曲を演奏する人たちを見て、そこに集まっている人たちを見て、そこに掲げられた巨大なジョンレノンのパネルを見て、胸が締め付けられた。信じられない不幸な事件の報道を知る度に、平和がこんなに不安定でありながらも、でも確かに平和を求める人たちが周りにたくさんいて、ものすごく心が暖まった。時間を越えて、世代を超えて、今も心に響くうた。ジョンレノンをよくは知らないけど、すぐ近くに彼がいるようで。なぜだが涙がこみあげてた。イマジン。




No.33

 勘違い 

2005/11/22 (火) 12:20


夜。電車内。まぁ普通に立ってて、隣に一人分くらいの間を空けて20代半ばくらいの女性が立ってた。夜だから窓越しに反射した姿が見えるのだけど。なんとなく外を眺めていたつもりがその女性に目がいって。その女性が自分を見ているような気がした。そんな経験ありません?
ま、気のせいかなと思いつつ、しばらくしてふと見たらまた見てて。もはや誰か知っている人かなと思ったが心当たりなく、顔に何か付いてるかなと確認しても何もなく、さりげなく周りを見渡すもそれらしき人は誰もいない。なんか知らないけど見つめ返してみた。そんな時、自分とその女性の間で座ってる若いサラリーマンが暴睡していたのだけど、携帯を床に落としたわけ。バッテリーが本体から外れて。当人は暴睡中。自分の中で愚かな葛藤が始まった。「ここで拾って、なんかアピールしているように思われるのも嫌だな。ま、降りるときに気づくだろ。もし気づかなかったらそんとき教えてあげればいいや」とかなんとか。そしたらその女性はすっとしゃがんで携帯を取り、その人の腹のところにポンと置いてあげた。それを見て、自分の愚かさに嘆いた。いつからこんな風に相手の目、しかも知らない人の目まで気にするようになったんだろうと。いい人と見られる事を嫌がった時期は確かにある。「お前は偽善者だ」と言われ、相当落ち込んだ時期もあった。でも、自分が正しいと思う行動をとることで人からどう思われようと気にしないと誓って立ち直ったはずなのに、またこうして人に見られる事を気にしていた。なんか自分のちっぽけさに恥ずかしさと不甲斐なさと後悔に苛まされた。
確かに携帯を拾ってあげた行動は素敵だなと思った。でもそれって、誰でもできるささいなことであって、そういうことさえ出来ないおれみたいな人間がいるってことが社会を駄目にしてるんだなって思ったら、出来る範囲で、他人を思いやる気持ちを取り戻したいと思った。
そう、勘違いは自分を美しくする。
そういえば数年前の今でも忘れられない勘違いエピソードを最後に。
場所、吉野家。会計を済ませ帰ろうとする。若い女店員、恥ずかしそうにおれに声をかける。
「(言いづらそうに)あのぉ」
「はい?」予期せぬ出来事に何かいい予感。
「(店員、人差し指を口元にあてながら)ここ」
自分の口元に手を当てるとご飯粒が。隣にいた見知らぬおばちゃん大笑い。
ま、人生こんなもんでしょ。




No.32

 ニュースの天才 

2005/10/10 (月) 09:32


自分の無知を知られたくなくて、知らないのに「知っている」と言ってしまったり、誰かから好感を得たくて、自分を大きく見せようとして、ないことを「ある」ように振る舞った経験ありますか?

ぼくは告白すると小学4年生のとき、ありました。

忘れられない苦い記憶。テストで満点の自信を持って返された結果が一問ミス。ケアレスミス。すかさず返された答案を手直し、先生に文句をつけた。でも先生はみんなのいる前でぼくの不正を指摘した。ぼくの自尊心は相当傷付いた。そして不正を認めなかった。先生も譲らず、点数は変わらなかった。みんなはぼくに同情してくれた。それがすごい救われたけど余計に苦しさとみんなに申し訳なく感じた。その場にいることが耐えられなかった。その瞬間にこの出来事をやり直したいと思ったが時は巻き戻らず、すぐに忘れたいと思った。
でも、今でも忘れられない記憶となっている。その先生に「ごめんなさい」と言えなかったことが今でも心残りで。でもそのおかげで真実と事実の違いを学びました。そして何となく誰かがその気はなくても、大きく見せようとしてたりする嘘が何となくわかってしまうときがあります。でもそれがあくまで推測であるのなら、疑う自分を責め、その人を信じるようにしています。
真実と事実が一致であることの大切さ。
自分を飾るくらいなら、つまらなくていい。
ありのままでいられたら、そんな自分に興味を持ってくれる人がいたら、
そんな素晴らしいことはない。

ってことを映画「ニュースの天才」を見て、昔の苦い記憶を思い出した。




No.31

 異常気象・異常事態 

2005/09/06 (火) 10:07


「相次ぐ地震に台風に飛行機事故に、、、」
最近、震度の強い地震が多い。先日の東京での溢れる雨。かと思えば四国では水不足になってしまったり。世界を見ても、ニューオリンズでの台風による歴史上最悪の災害。ニュースから流れるインドネシアでの飛行機墜落事故。イスラエルでのテロの噂が人々を混乱にし、多くの死者が出てしまった事件。

「想像もつかない犯罪が増えて、、、」
親が子供を殺したり、子供が親を殺したり。気まずい人間関係を修復する方法が殺害で、結局何の解決も見出していなくて。世界でも、アメリカによるイラクへの空爆が続いたり。

昨日たまたまテレビでスマスマ見てて、柔道元日本代表山下さんが言ってたことがある。
「最近の「勝ち負けにこだわる」柔道の在り方に警笛を鳴らす。本来柔道が持つ意味は、人とのつながりを大切にする。助け合う。思いやる。ルールを守る。そういうことなんだ」と。

山下さんの言うことに強くうなずく。
勝ち負けにこだわる姿勢は柔道に限らず、社会全体にいえることだと思う。確かに「社会」において、競争は生活を快適にする。ただ生活が快適になるということは、競争に勝ち残ることであり、勝ち残るほど快適度合いは強くなる。利益を競争相手と分け合うことはない。そして敗者は利益を生めずに倒産したり買収されたり降伏したりする。
このような「社会」と「社会」のぶつかりを「人」に置き換えたらどうなってしまうだろう。末恐ろしい。
これは資本主義が生んだ「きしみ」なのかもしれない。
だからといって社会を完全否定するわけでもない。望むのは、社会がもっと人らしくなり、社会的な人がもっと人としての心をもったらいいなと思う。

異常気象が不安を生み、不安が異常事態を生んでしまう地球の、人間の仕組みがあるとしたら、あまりに悲しすぎる。
ぼくたちには「心」がある。

これはぼくからの謝罪と言い訳、そして平和宣言。




No.30

「真実は多面的なものだ 

2005/08/09 (火) 13:55


自分の見方で変化する」

おれの考え方にジャストな台詞をマスター・ヨーダが言っていたんで、ここにも書き記しておくことにしたんだぁ




No.29

 アナザーワールド 

2005/07/09 (土) 00:07


本日、三十路を迎えちゃいました。
ほんと、人生は儚くも、無情にも、確実に過ぎていくなぁ。
「あの頃は若かった」
「あの頃に戻れたらもっとがんばれた」
とか言いたくない。
良くも悪くも、「あの頃」があるから「今」があるわけで。
前にも書いた気がするけど、誰にとっても言えることなんだけどさ、
今が一番若いんだから。




No.28

 決断 

2005/06/10 (金) 14:18


行き先は分からない。
でもこのままじゃいけないことは分かってて。
だから小さな希望を頼りに自分を追い込むことにした。
でもその希望もすぐに不安にかき消され、
残されたのは「残酷なまでの現実」
それを決めたのは自分自身。
今はただこの現状を受け入れるべく自分と向き合う時。
嘆いているのではない。
生きていたいの!
ただ一度しかない人生なら、
自分を信じてあげたいのじゃ!
恐いのだよ




No.27

 ビョークは言った 

2005/05/21 (土) 03:12


「作品そのものが強力なら、何ものにもぶち壊せないと思う」
「この道具を使ったらぶち壊しだとか言うのは、作品のパワーに自信がない人が言うことよ。自分の作っているものにあまり信頼がないんじゃないかと思うの」
「失敗を隠すためのいろんなツールで修正して完璧なものにしちゃうじゃない。ああいうことって良くないと思うの」

おれも同じこと考えてたのに、何となく上の空だった。忘れてたわけじゃないけど忘れてて、もやもやした感じだったから。
はっとした。
初心を思い出させてくれた。
いきなり世界が開けた気がする。
自分ができる以上のことをやろうとしてたんだな。
何を焦っていたんだろう?
無理しないで、かっこつけないで、ありのままで。




No.26

 ありのままで 

2005/04/13 (水) 07:31


すれ違いをそのままにして生きて、傷つく事を受け入れようとしている。
それは拒絶しようとしているともいえる。
心の触れ合いは素晴らしきこと。
でも分かり合えない想いをそのままにしてしまう。それはきっと誤解を生むきっかけなのだろう。
分かってる。
すぐ近くにあるものを遠ざけてしまう。
それは本音ではない。
分かってる。
もはや言葉では越えられない壁。
自分の殻が見えてきた。
分かってる。
信じた跡が悲しみなんて。
これは真実が見えなくなった日。
だからまだ歌を歌おうと思う。
たとえ届かないと分かっていても、もうこれ以上自分に嘘はつきたくないから。

何も信じれなくなった青年はどうやって光を探すのだろう?




No.25

 all in the mind 

2005/04/09 (土) 15:23


2年振りにall in the mindとしてライブできました。
最後の曲「you」、思い出すだけで泣きそーです。
出番直前にことりから「you」はやりたくないと言われ、2年間思い続けたオレの気持ちは瞬時にショートして、わけが分からなくなってしまった。
だからステージ上でことりに話しをしてもらった。
沈黙。
一瞬が長く感じたとき、当時では考えられなかったかりんの一言。「こんなんじゃしまんないよ」
そして「聞きたい」と言ってくれたみんな。
その気持ちを飲んだことり。
あー、泣きそーだ。
みんなの食い入るような眼差しと高揚したオレの想いが重なった。
あの場がぐわーって持ち上がる感じがした。
感極まって、右鼻から鼻水が垂れ流れていたのは誰も知らなかったと信じたい。
「君じゃなきゃいやだ」
目頭が熱くなったよ。

あんな素敵な想いをさせてくれた、youを好きになってくれたun born baby、かりん、そしてことり、all in the mindを楽しみにしてくれた人たちに感謝します。
サイコーだったよ!ほんとありがとう!!!




No.24

 物語 

2005/03/04 (金) 00:49


昼間は善人、夜間は悪人な人がいました。
彼の名前は「まよい」。
たとえば昼間にしか生きれない女がいて
夜間のまよいを知りません。
女はまよいが大好きでした。
たとえば夜間にしか生きれない男がいて
昼間のまよいを知りません。
男はまよいを憎んでいました。
女は夜間のまよいを知る必要があるのでしょうか?
男は昼間のまよいを知る必要があるのでしょうか?
知って何を思えばいいんでしょう?




No.23

「孤独」からの「脱皮」

2005/01/19 (水) 00:45


最近「想う」ことからかけ離れてる。それだけ感受性が鈍くなってるってことを否定はしない。不満のない日々。だからギターからちょっと遠くなっている。でも今年になって少しずつ変化してきた。でもやっぱり満足していない。あー良かった。「満足していない」って言い切れた。まだまだやれる!

とあるユニットのホームページを久しぶりに見た。「見た方がいいよ」と言われて。なんかねえ、なんかだったわけ。彼の日記をただ流すことができなくておれなりの想いをちょっと詩的にここに書き留めることにする。久しぶりな「想い」。
「孤独」とか「絶望」とかそういう類いの言葉に敏感な人に届けたい。

世界に一人、取り残されたようだ
僕を取り巻く環境が他人事のように感じる
時は過ぎていくのに、
僕だけが取り残されたようだ

僕をわかってくれる人間なんていない
結局会話が上の空になっている
親身になてくれるのは泣きたくなるほど嬉しいけど
どこかでは僕を分かってくれていないことに距離を感じる
でも誰だってそうなんじゃないのか
他人を理解できる人間なんていないんだ

人として

僕は誰かのことを理解しているんだろうか?
いや、そんなことはできない
僕のことを分かる人間なんて誰もいないの
僕が他人を分かることなんてできない
でも分かろうとすることはできる
誰かを「想う」ことはできるはずなんだ
他人と比べてはいけない
君は君で  僕は僕
その上で誰かを「想う」ことの素晴らしさ

少しだけ空を見ていたい




No.22

 人はなぜ生きるのか?

2004/12/01 (水) 06:47


なんてすごいタイトルを付けちゃったけど。そんな重く考えるわけじゃなくて、昨日は職場で嫌な事があって。まあ、今日は怒りから生じた日記です。

昨日は最高の一日になるはずだったのにほんとひどい一日だった。

自分のプライド・立場を保持するために権力を行使する奴ほど人間の小ささを感じる事はない。
自分の担当する範囲内の事故を自分に関わりがないからといって外部に任せる責任感のない奴を信用できない。

職場から求められた目標を達成できたはずなのにできなかった。そんな奴らのせいだった。それが全てとは言わないし、自分にも責任がないわけでもないのだけど、確実に言えるのはそんな奴らがいなかったら目標は達成したんだ!なんのために働いているのか見えなくなった瞬間。
って書いてたら何か大袈裟に感じて己の小ささを感じて恥ずかしいのだけど昨日の帰りはほんと怒りと悔しさで泣きたくなりました。

映画「ライフ・オブ・デビット・ゲイル」から

パスカルは言った
「人は将来の幸せを夢見る時だけ幸せである
狩りの楽しみは追っている間
高望みに注意
それが叶ったら二度とそれに目を向けないから」
夢を生き甲斐にすると決して幸せは得られない
知性と理想を持って生きるのが充実した人生
夢が叶うか叶わないかで人生の価値は決まらない
大切なのは一瞬の誠意・思いやり・知性の輝き
人生の価値を究極的に決めるのは
他人の命を尊んだか否かなのだ

極論すぎる気がするけど最後の五行、特に最後の三行に共感します。




No.21

 自然は泣いている 

2004/10/22 (金) 07:21


ここ何年か「秋」という季節を感じられなくなってしまった。
紅葉に行けばそう感じることはできると思うが。確かに夏の終わりは感じる。でも秋という感覚がないまま冬を迎えてしまうのだ。なぜだろう?
今年は例年ないほど台風は世界中に猛威を振るっている。地震は年々増えている。これを単なる異常気象という現象だけではどうしても片付けられない。
自然破壊、オゾン層破壊。地球温暖化。地盤沈下。異常気象。
人間が地球に与えてるダメージってきっと想像を絶しているんだろうな。

〜たけビジョン〜
「有害な気体がオゾン層が破壊し、温暖化により北極なり南極なりの氷が溶け出す。その水は赤道に向かって流れていく。水面は上昇する。水没する土地ができてしまう。地球は一時の涼しさを得るがすぐにそれも太陽が暖めてしまう。吸い上げた水は気体となり雨となり台風となる。地震。地割れ。地球の不安定は人の心をも不安定にする。ありえないはずの事件が世の中で多発する。世界の終わり」

北極に行った事もないのに北極にいる夢を見る事がある。目の前には氷の塊しかない。見上げる空はすこぶる水色。そんな目の前で起きる。目の前にあるとてつもなくでかい氷がどでかい轟音とともに溶けて、急スピードで溢れ流れている。自然はありえないほどの力で大地を揺るがす。おれは恐怖に脅えながら、目の前で起きてる事を目にしている。おれは鳥のような視点になってたから、空を飛んでたのかも。みんなに知らせなきゃと焦っている。
っていう夢。一度だけじゃない。同じ夢を何度か見た。目が覚めるといつも「ああ、生きてる」って実感する。

これを書きながら煙草をふかしつつも思う。
「もっと自然を大事にしなきゃ」




No.20

 価値観 

2004/09/20 (月) 08:08


「価値観の違いで別れました」
っていう言葉がすごく悲しい。
特に長く付き合った関係であれば尚更ね。
だからといって「価値観が一緒でさ」なんて軽々しく言いたくない。人それぞれに価値観があるわけで絶対「一緒」ってないと思う。確かに同じ部分であったり、似てたりすることもあるだろうけど、全く一緒ってないと思うわけ。生きていればいろんな刺激から新たな価値を見出していくわけで。「一緒」だと思っていたら、その違いを見落としてしまう。もっとコミュニケーションを。そう、別な見方をすればたとえ価値観が違ったとしても認め合える関係ってあると思う。それはお互いを尊敬し合える関係を築かなくてはならないし、そのためには相手を認めなくてはいけない。一方的な押しつけは関係に距離を置くことに他ならない。
価値観のぶつかりあいは新たな価値を生むきっかけだ。
「価値観の違いで別れました」ってのは結局相手を認めることができませんでしたって事な気がして。すごいがんばったけど駄目だったのかもしれないし、単なるわがままなだけだったのかもしれないが、惹かれあった者同士が価値観の違いで別れるのはそんなわけで悲しいのです。

昨日、幼なじみが結婚しました。まあ、奴なら「価値観?別に」みたいな感じで前向きにやっていくことだろう。たまには飲もうな。末永くお幸せに!!




No.19

 こころ 

2004/08/31 (火) 02:03


自分の気持ちを勝手に決めつけられて「〜なんじゃないかと思って〜した」と後から言われて、実は相手がそうしたいからそうしただけで、勝手に都合のいいように自分の気持ちを決めつけられることがある。
ほんとに嫌だ。
純粋に相手を想ってする行動には利害関係はあるはずもなく、相手が喜んでくれたら素直に喜べるし、相手の気分を害してしまったら、(確かにがっかりしたり、むっとすることはあっても)素直に謝れる。相手を思いやることは大切だと思うが、相手の気持ちを決めつけることはしてはいけないと思う。

今夜、すっごく楽しみにしていたイベントがあって、入り口でIDチェックがあった。定期券や国民保険証を見せたが、「顔写真入りじゃないと駄目だ」と言われた。「ない」と言っても「都の決まりなんで」と言葉少なにちょっと離れたところから言われた。結局一度入ろうとしたからなのかなぜかチケットは没収され外に出た。
別に彼は自分の仕事を全うしただけだし、せめてチケットに「顔写真入りの身分証を」というアナウンスがあってもいいと思うし、まあでも主催者側の意図を把握していない見る側の問題であるのかもしれない。
ただ残念なのは、なんのためのIDチェックなのか。年齢制限をするためなら年齢が分かればいいのでは?写真入りの証明書を持っていない人への対応は?その辺は受付は人間がやっているのだから、怪しいかどうかの分別はつくのでは?
何より残念なのは、客がこの日をどんなに楽しみにして来たのか、ってことを無視してるってこと。それが入場を断るにしても言い方ってもんがあると思う。
ただの事務作業をするだけなら役所や機械に任せればいい。
うまくごまかして入ることも可能だったろう。誰かが入って一度出てID貸して入るみたいなね。(結局写真顔と実物を見比べてはいないのだから)
でもすごくがっかりしてしまって。ほんとはすげえ見たかったけど、見たくなくなった。すげえくやしかった。そのために今日をがんばれたし明日からの力にしたかったから。
誰が悪いわけではない。
確かに大したことではなくうまく乗り切れたのかもしれないが、まあ、あきらめてしまったから。その時点で終わったのだ。
腑に落ちないことって世にはすごいあるわけで。そんなことと片付けないで、解決はできなくても「?」をぶつけていたい。




No.18

 もがき 

2004/07/04 (日) 03:43


別に大義なんか必要ない。
「全て」の言い訳が聞きたい。
信実を追い続けていたいから。

嘘はついていなくても、信実を汚すことがあると思う。おれはそれを嫌う。

っていうちょっと分かりにくいことを書いちまった。ぐだぐだ書いてはみたんだけど、なんかよく分からない文面になってしまってたのでまとめちまった。あらすっきりしたこと。

でもね、自分を見失ってしまうことが一番辛い。
だから「今」おれはどうしたいんだろう、と「考えて」みる。




No.17

 汚い人間 

2004/06/30 (水) 04:22


その瞬間から絶え間ない罪の意識を感じてしまった。 「何であの時、あんな行動をしてしまったのだろう」と後悔することは、その具合がどうあれよくある。大概は「まあまあまあ」と許せる部分が多い。でもそれが自分の人格にまで及んでしまうようなときは自己嫌悪に陥って、オレという人間を完璧なまでに否定する。
悪いと知りながら悪いことをして、自分が得をしようとして、でもその悪いことをした事実に打ちのめされた時、得をしたはずなのに感じるのは罪の意識。己の醜さ。

罪を犯して、それが許されることはあるのだろうか?
許されるとしたらそれは誰が決めるんだろう?

忘れてしまった罪悪感がある。それは自分なりに消化していて、自分を許せたからだと思う。だが他人からは許してもらえてないかもしれない。 忘れられない罪悪感がある。それはどんなに時間が経っても消えない記憶。思い出す度に自分自身を心底軽蔑する。だが他人は何のことやらともう全く気にしていないのかもしれない。
オレが感じている罪は、他人から見れば大したものじゃないのかもしれないし、逆に想像以上に他人から非難されるのかもしれない。
オレは罪滅ぼしに、大事なものを一つ手放すつもり。
そんなことをする必要はないと引き止める人もいれば、そんなことをすることに何の意味もないとさらに非難する人もいるだろう。
大事なものを一つ手放すことで罪が消えるわけではないが、いや、これは偽善だ、オレは罪が少しでも軽くなるのならと願っている。
過ちを犯した事実は認めていたが、誰かが悲しむ声がオレの胸に届いたとき、過ちの重さを知った。
申し訳ない気持ちよりも自分の切羽詰まった姿、余裕のない姿、周りが見えてない姿=悪魔、そんな自分を心底軽蔑する。

オレ、オレとオレばかりを弁解してるように語ってることに釈明の余地はなく、こう告白することで、意図的でないとはいえ、自分一人で抱えるべき罪を軽くしようとしているのかもしれない。なんてオレは汚い人間なんだろう。




No.16

 ジュード・ロウはこう言った 

2004/05/13 (木) 10:15


「自分の意見を持ちたい。だが意見は経験と知識に裏打ちされているべきだ」がぼくの持論でね。

感銘を受けました。




No.15

 太宰治「斜陽」より 

2004/03/27 (土) 02:11


「僕が早熟を装って見せたら、人々は僕を、早熟だと噂した。僕が、なまけものの振りをして見せたら、人々は僕を、なまけものだと噂した。僕が小説を書けない振りをしたら、人々は僕を、書けないのだと噂した。僕が嘘つきの振りをしたら、人々は僕を、嘘つきだと噂した。僕が金持ちの振りをしたら、人々は僕を、金持ちだと噂した。僕が冷淡を装って見せたら、人々は僕を、冷淡なやつだと噂した。けれども、僕が本当に苦しくて、思わずうめいた時、人々は僕を、苦しい振りを装っていると噂した」

ハッとさせられる。
絶望。そんな嫌な場所というか空気がある現実を知っている。
諦め。そんな世界なら見たくない。
でも、だからといって目を閉じてしまっては、そこから光は見えないんだよね。
じゃあ、どうすればいいんだろう?




No.14

 探し物は何ですか?

2004/01/19 (月) 14:17


っていう。
井上陽水の名曲より。

なくした物を探そうとすることは、その目的がはっきりしてるだけにわかりやすいけど。これから何かを探そうとしたとき=生み出そうとしたとき、それは無限の可能性があるはずで。なのに「休みが無くて」「金がなくて」とかさ、いろんな条件やら環境やらを理由にして選択の数=可能性が減ってる気がする。「これが現実」だなんて無理矢理自分に言い聞かせたりして。
そんな見えない力に押しつぶされそうになる瞬間がある。その瞬間も年を重ねるごとに長くなってる。つい最近もそんな考えに陥ってちょっとブルーになってたんよ、ぶっちゃけ。
でもさ、やっぱり一度しかない人生。恥の多い人生かもしれないけど、見えない力に屈することなく「信実」を探し続けたい。自分が「いい」と思ったことに自信を持っていたい。




No.13

 時を飲み込む夢を見た。

2003/12/21 (日) 03:19


今おれがここにいることを考える。
「おれ<ここ<東京<日本<アジア<世界<地球<太陽系<銀河系<宇宙」
そしてその宇宙がおれの体内にあると想像する。
逆な言い方をすれば、今あるこの世界は誰かの体内に起こっている一瞬にすぎないってこと。
「宇宙<体内」
人間の数だけ宇宙があって、もちろん人間に限らず生物全ての体内にあるとして。

宇宙が誕生して何万年の時が経ったのか知らない。ビッグバンとか相対性理論とかよく分からない。ただ僕らが今こうして生きている時間って、その中の一部分なわけで。そういった意味ではほんの一瞬にすぎないんだろう。
蝉は一週間の命だと聞いたことがある。そんなちょっとしか生きれないのかと考えたことがあるが、何百年も生きられる樹木から見たら人間の一生もやっぱり一瞬なんだろう。

時を飲み込んだ。
おれは「今」ここにいる。
伝えたい想いがある。




No.12

 映画『判決前夜』より 

2003/11/30 (日) 02:51


「私たちにとってあまりにも悲しい悲劇
でも最近になって生きる希望を抱き始めた自分が怖い
世間は許すだろうか
永遠に幸せを拒んでは生きられない
でも苦しみは?
人生を変えてしまう瞬間は
ある日不意に訪れる」

その通りだと思う。




No.11

 呪いを解く言葉 

2003/11/17 (月) 02:57


猫の死骸を見た。
かわいそうだなと思う。

「同情したら呪われるんだよ」
小学か中学時代に誰かに言われて、家に帰ってなんだかしらんが泣いてしまった記憶がある。今にして思えば、そう言った奴はおれをからかいたかっただけだろうに。
「親指隠したからいいんだもん」
とその場では笑いながら。でも実は心から同情していたから。だから本当に呪いが起きてしまうのではと心底不安になって。

動物の見たくもない死骸を見てしまうと常に思い出してしまう。変な思い出。でも今ではそれよりも強烈に思うことがある。 「忘れないよ」
と一言声をかけることである。
呪いを解く言葉。

助けたいことがある。でもどうしても自分の力ではどうしようもない。
そんな時いつも感じていたのは自分の力不足に対する自己嫌悪。
でもそうじゃないと考えるようになった。
助けてあげれなくてごめんね、じゃない。
助けてあげれないけど忘れないよ、なんだ。




No.10

 幸せ 

2003/11/13 (木) 03:04


言葉にできないほどの想いはどうやって伝えればいいんだろう。 一人じゃないと思える時間がもっと欲しい。
なんか最近考えるのはそのために生きてるのかな、なんて。
誰かを求めるから孤独があるのなら、おれはその孤独を受け入れるよ。
でもね、一人じゃないと思える瞬間は絶対に欲しい。

っていう。
最近、幸せになりたいと思うようになりました。




No.9

 映画「ニューシネマパラダイス完全版」より  パート2 

2003/11/03 (月) 08:01


主人公のトトは答えたんだ
「兵士が待たなかった訳・・・
あと一晩で王女は彼のものだ。でも王女が約束を破ったら絶望的だ。彼は死ぬだろう。99日でやめれば王女は自分を待ってたと思いつづけられる。」

すげえ切ない。
で、おれが思うのはさ、兵士にそう考えさせてしまう状況なんだよね。
兵士はさ、眼から涙が滴り落ちても、涙を抑える力もないほどひからびて真っ白になってたんだよ。その姿を窓越しに見た王女はなんで100日にこだわったんだろう。なんで兵士のところに迎えに行ってあげなかったんだろう。そこにやるせなさを感じる。だからこそ、そう考えちゃうとトトの言葉はほんと切ないんだ。




No.8

 映画「ニューシネマパラダイス完全版」より 

2003/10/30 (木) 00:17


アルフレード
「お伽話を一つ
昔ある王様がパーティーを開いた。国中の美しい女性が集まった。護衛の兵士が王女が通るのを見ていた。王女が一番美しかった。兵士は恋におちた。だが兵士と王女ではどうしようもない。ある日ついに兵士は王女に話しかけた。王女なしでは生きていけぬと言った。彼女は彼の深い想いにおどろいた。そして言った。『100日の間昼も夜も、私のバルコニーの下で待ってくれたらあなたのものになります』と。兵士はバルコニーの下に飛んでいった。2日・・・10日、20日たった。毎晩王女は窓から見たが兵士は動かない。雨の日も風の日も雪が降っても鳥が糞をし蜂が刺しても兵士は動かなかった。そして90日がすぎた頃には兵士はひからびでまっ白になってた。眼から涙が滴りおちた。涙をおさえる力もなかった。眠る気力さえなかった。王女はずっと見守っていた。99日目の夜、兵士は立ちあがった。椅子を持って行ってしまった。」

おれにとってこのシーンは、かんなり胸が締め付けられたひとつでね。
なんであと一晩兵士は待たなかったんだと思いますか?




No.7

 信実と事実 パート2 

2003/10/29 (水) 08:26


仮に、ここに美しい世界があって。
でもその美しい世界を見ることができなくなったとする。失明に似た、つまりはだんだん目がふさがれ世界がぼんやりしていく。そしてついには何も見えなくなってしまう。
暗闇。
やがて暗闇の中にあるが、どうやら世界は美しさを失い、絶望が漂っているらしいことを知る。しかし、その光景を目にすることはできない。

果たして暗闇の世界と、絶望の世界、どちらの方がいいのだろう?

どうにか目も開き、世界を見ることができた。そこで見たのは予想していた絶望の世界。
いっそのこと、何も見えないままの方がよかったと思うだろうか?それとも、どんな世界であっても、この目で確認できることによかったと思うのだろうか?




No.6

「罪」と「罰」

2003/10/28 (火) 03:14


人として生まれ落ちた瞬間に僕らは「罪」を背負う。
足かせを付けられる。
だから自力で空を飛べないし、水の中ではやがて沈んでしまう。
与えられた自由にいて、「自由を!」だなんてあまりにみじめだし、裏切られた気分になる。
今や住民票はどこの市役所からでも入手できるんだって。国民一人ずつに「番号」があるみたいよ。そんな便利いらない。なんか悲しい。

罪人を信じれるだろうか?
前にも書いたけど、人を傷つけるくらいなら人を信じて傷つく方がいい。あの曲の台詞と同じだけどさ、おれはそう思う。

普段否定している行動をしてしまった時に感じる底知れない罪悪感。すげえ自分が嫌になって。そんなとき一人は耐えられない。
ごめん。でもね、この世界に正しい生き方ってないと思うし、志一つでどんな暗闇の中でさえ光はあると思う。たとえどんな結果であれ、それを受け入れられかどうかの問題だと思う。
だから信じる。




No.5

 信頼と希望と愛情。パート2 

2003/10/25 (土) 00:44


「シャーロットグレイ」という映画を見て。映画自体は伝えたいことがあって、それが何なのか大体は分かるんだけど、おれの心にぐっと迫ってくるものはなかった。ぶっちゃけ。ただ一つ印象に残った台詞があって。

「信頼と希望と愛情、どれが一番大事か?」

こんなストレートな台詞っていつもはちょっと引いたりもしちゃうんだけど、なんか知らんが気になった。おれは「信頼」って一瞬思ったんだけど、よく考えてみた。

信頼と愛情ってさ、相手があって始めて感じれる想いで。それが人や動物や物なのかもしれないけど、とにかく自分一人では感じることのない想いだと思った。もちろん自分を信じて、自分を愛してってのがあるのかもしれないけど、そう思えるほどおれはそんなに強くない。
どちらかといえばすぐに人を信じてしまうし、人を好きになってしまう。寄りかかっていたいし、おれを必要としてほしいし、そしてそんな相手を大事にしたいし。弱いんだよ。でも別に強くなりたいとは思わないからいいんだけど。っていうか強い、弱いって何だろね。

だからこそ「希望」って言葉ほど不安定なものはないなって感じる。すげえ切ねえ。よっぽど志がしっかりしてないと「希望」って言葉は選択できないよーな気がする。でもおれも「希望」と言えるようになりたい。っていうかなんか「希望」って単純に使いたくない言葉だなあ。なので心の奥にしまうことにします。




No.4

 信頼と希望と愛情。

2003/10/22 (水) 15:27


どれが一番大事ですか?




No.3

 事実と信実 

2003/10/16 (木) 02:24


今やハイテクな時代です。人間から機械へ。
手間を省いて便利になることはいいことだけどさ、その「手間」に関わった人間の手=心もなくなっちゃうね。
人間の手と機械の手、どちらを信じますか?
たとえば防犯カメラに映し出された揺るぎない事実。それを否定する人間の声=信実。どちらを信じますか?
おれは絶対、人間の声を信じていたい。とはいえ、やはり場合によっては人を疑ってしまうこともあったりで。裁判官でもないのに「真」をかざしてさ。そんなんほんとは嫌なんだ。人を傷つけるくらいなら傷つけられる方がましだし。
物事が事実と信実の混在だとしたら、おれは信実を追求していたい。
だっておれらは人間です。人間が機械のような考え方をしたら涙も流せないよ。




No.2

 忘れたくないこと 

2003/10/14 (火) 06:22


人間の記憶ってどのくらいあるんだろう?
毎日が過ぎていく。仕事して、仕事帰りに飲みに行ったり遊んだり。そのスタイルは人それぞれとは思うけど。出来事やその時感じた感情とかさ、どのくらい俺の頭にメモリーされてるんだろう。
何かいいことがあったり、心が弾んだときの感情とか。そういうのってずっと忘れたくないんだよ。




No.1

 儚いゆえの空 

2003/10/13 (月) 03:17


幼い頃から空が大好きで。いつも空を見上げてた。

中学生の頃、毎日のように掃除時間になると階段に座り大きな出窓から見える限られた空を、雲の行方を見守ってた。雲の形が変わり行く様を見てた。雲の向こうにはラピュタがあるなんて考えてさ、雷雨の後のよく晴れた空の雲の向こうはよく注意して見てた。「あるわけないじゃん」と分かっているんだけど心のどこかで思っちゃうわけよ。「もしかしたら」なんてね。

電車に揺られながら、まあ座れなかったとき、外の景色が見えるとき目にするのはすぐ近くの物体。ビルとか家とか木とか人とか車とか、すぐそこにあるもの。視線をだんだん遠くにやっていくとそこには空がある。目の前の景色はすぐ移り変わるというのに、空は変わらない。なるだけ遠くの遠くまで見ようとして、その空の下には知らない人たちがいることをちょっとだけ考えて。

おれの最高の空の見方。寝そべって見る。歩きながらとか、座ったまま見上げる空とは比べもんにならない世界がそこにはある。
空が一番遠くにある季節っていつだと思いますか?
空気が澄んで遠くがよく見えるようになるのは冬だけど。空が一番遠くにある季節って、思うに夏なんだよね。なんとなくだけど。だから夏の空は切ないよ。あんなに猛々しい雲なのに。なんかね。

空を見上げて。「人」の「夢」と書いて「儚い」。
儚いってさ、たとえば空をつかもうとして、どんなに手を伸ばしても届かないと知りながら、届くようにずっと手を伸ばし続けることなんだと思う。
それってバカかもしれない。意味ないかもしれない。でもおれはバカでもいい。意味なんていらんよ。

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